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ま な こ に つ い て
まなこは『高機能自閉症』という軽度発達障害児です。
自閉症児は、見た目は健常児と変わらないことが多いです。
しかし、私達の常識が通じない異文化の国の人のようです。
自閉症児は、極端な孤独に陥り、親やきょうだいに興味を示さず、
情緒的なつながりをもたないことがあります。
そして、強い執着傾向を持ちます。
まなこにも、まなこなりの「ルール(こだわり)」があり、
少しでも狂うと、パニックになってしまいます。
今はあまりありませんが、「オウム返し」を繰り返し、
なかなか相手と気持ちが通じ合う会話になりにくいのが特徴です。
健常児が好むおもちゃに興味を示さず、ビンのふたのような物だけに
関心を持ったり、奇妙な行動が目立ちます。
まなこのことが「おかしいな・・・」と思い始めたのは1才過ぎでした。
それまでは、比較的育てやすい赤ちゃんでした。
でも言葉の遅れが気になり、同じ年頃の子供と一緒に遊ぶことが出来ず、
すぐどこかへ行ったりしていました。
発語はありましたが、意味不明の言葉(私達は“まな語”と
呼んでいました)を繰り返し言っていました。
私は短大の幼児教育学科の2年生の時、、
『知的障害児施設』に10日間泊り込みの実習で
自閉症児さん達と触れ合った経験があり、
「この子は『自閉症』なのでは?」と思うようになりました。
’98年10月の3才児健診の時、まなこの立ち直りの悪さを指摘され、
療育センターの隔週土曜日に行われる教室に行くように勧められました。
でも私は、「月2回、1,2時間の療育で、何の成果があるの!?」と思い、
教室には通いませんでした。
でも扱いづらい子供であるのは間違えないので、
保健師さんに相談して、元・医大に勤務されていて、
『小児科』を開業されているという女医さんを紹介されました。
先生に診ていただいたところ、「目が合わない」などの理由で
医大の『小児科』の「発達外来」を紹介され、通院することになりました。
医大の先生にも療育センターの教室を勧められましたが、
私は通うのが億劫で、行かず仕舞いでした。
’00年3月、幼稚園に入園させるのにも躊躇しており、
かといってこのまま悶々とした日々が続くのに嫌気が差し
わらにもすがる思いで、保健センターにTELしました。
担当の保健師さんに療育センターT園の入園を勧められました。
すぐに、T園にTELしたところ、運良く定員1名の空きがあり、
トントン拍子で入園が決まりました。
4月〜10月まで母子通園を続け、母子分離の大変な時期もありましたが、
何とか単独で通園出来るようになりました。
’00年8月、まなこの正式な障害名が気になり、
Y大教育学部の臨床心理士の先生を紹介して頂き、
Y大に家族3人で行きました。
知能テストの結果とまなこの行動・言動を見られて
「自閉症です」と言われました。
ショックでしたが、障害名がはっきりしてホッとしました。
現在も先生のところへは、月1回のペースで通っています。
同じく’00年8月の「脳波検査」の結果、『てんかん』と診断され、
最低3年、薬を飲まねばならなくなりました。
現在は『テグレトール』を朝・夕1日2回飲んでいます。
『テグレトール』を飲み始めて、ぐんと伸び始めました。
そして『リタリン』を朝・昼2回飲み出して、集中力が増しました。
T園の嘱託医の先生に、まなこが高機能の部類に入ると言われました。
それまで中機能だと思っていたので、嬉しかったです。
’02年3月、T園を無事卒園しました。
1年前の卒園式で、いつもと違う雰囲気に恐れおののき、
大パニックで卒園式の会場に入ることさえ出来なかったまなこが、
立派に卒園証書を受け取っていました。
’02年4月、さほど問題なく地区の小学校の『特殊学級』に入学しました。
「国語」と「算数」以外は『普通学級』で勉強しています。
でも、家ではまだまだ我まま言ったり、甘えん坊のまなこです。
今思うことは、もう少し早く先生や保健師さんの言うことを聞いて
療育を受けていたら、もっと伸びていたのではないかということです。
でも、T園での2年間は有意義でした。、
スムーズに小学校生活を送れてるのは、T園での療育のおかげだと思います。
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